豊田英尚
千葉大学薬学部

  細胞表面に存在する糖鎖が細胞の相互認識や細胞間情報伝達に関与することが明らかとなり,糖質の持つ生物学的意義に注目が集まっている.ショウジョウバエは発生遺伝学における重要なモデル動物であるが,dally 遺伝子の発見を契機にプロテオグリカン(PG)研究における有用性が認識されるようになった[1].その後さらに,ショウジョウバエの Wnt タンパク質,すなわち Wingless を介した細胞間シグナル伝達系におけるPGやグリコサミノグリカン(GAG) の寄与が報告され[2,3],ショウジョウバエや線虫は新しい糖鎖研究材料として脚光を浴びるようになった.しかしながら,これらのモデル動物が産生するGAGの構造と機能についてはほとんど解明が進んでいない.そこで今回の講演では,ショウジョウバエと線虫の糖鎖遺伝子変異体を用いて私たちが明らかにした実験結果を中心に紹介し[4-6],モデル動物を用いた糖鎖生物学の今後についても言及したい. 野生型のショウジョウバエ,線虫の解析[4]:コンドロイチン硫酸 (CS)として,線虫からは全く硫酸化されていないコンドロイチンが,ショウジョウバエからは低硫酸化されたコンドロイチン4硫酸(LSC)が検出された.ショウジョウバエ CS の二糖組成分析ではΔDi-0SとΔDi-4S のみが検出され,これは 4-O- および 6-O- 硫酸化されている二糖単位を主要成分とする軟骨の CS とは大きく異なっていた.ショウジョウバエCSの二糖組成分析の結果が,哺乳動物のビクニンに結合しているLSCと類似していることからその関連を調べたが,両者の微細構造は大きく異なっているものと推測された.次に,ショウジョウバエのヘパラン硫酸(HS)の二糖組成を分析したところ,ΔUAGlcNAc,ΔUAGlcNS,ΔUAGlcNAc6S,ΔUAGlcNS6S,ΔUA2SGlcNS,ΔUA2SGlcNS6S といった脊椎動物と同様の不飽和二糖が検出された.二糖組成比が組織および発生段階に応じて再現性のある変動を示したことから,HSは種を越えてよく保存され様々な生命現象に関与していることが明らかになった.線虫HSからはΔUAGlcNAc6SとΔUAGlcNS6Sは検出されず,構造多様性はショウジョウバエに比べて少ないものと考えられた.また現時点では,ショウジョウバエと線虫からヒアルロン酸,デルマタン硫酸,ケラタン硫酸は検出されていない. 糖鎖遺伝子変異体を用いたショウジョウバエ,線虫の解析[5,6]:ショウジョウバエのsugarless (sgl), sulfateless (sfl), tout-velu (ttv) 変異体はGAGの合成撹乱の結果,Wingless, Decapentaplegic, Hedgehog といった細胞間シグナル伝達分子の正常な機能発現に影響を受けていることが遺伝学的に示されている.したがってGAGの機能発現に関連する膨大な遺伝子ネットワークを包括的に研究する貴重な材料として注目されており,実際にこれら変異体の産生するGAG の分析が急務とされていた.我々はsgl がいずれのGAG もほとんど生合成できないこと,sfl およびttvのCSは正常であるが,sfl ではHSの硫酸化が全く起きていないこと,ttvではHSをほとんど生合成していないことなどを化学的に示すことに成功した.ttv 遺伝子は脊椎動物の腫瘍抑制遺伝子,EXT-1の相同遺伝子であることから,今後ショウジョウバエを用いたHSの機能解析が,がん研究に結びつくものと期待している.最近報告された線虫の squashed vulva (sqv) 遺伝子は陰門の上皮細胞の陥入や排卵胞の発生過程に必要な遺伝子であり,sqv-3,sqv-7,sqv-8 がそれぞれGAG の生合成に関与すると考えられていた.我々はこれらの遺伝子変異体を分析し,いずれの場合もGAGが顕著に減少していることを見いだした.ヒトのEhlers-Danlos 症候群(早老症型)は,sqv-3 変異体と同様にガラクトース転移酵素 I の異常が原因であると考えられており,疾病のメカニズム解明や治療法の開発に線虫を用いた GAG の機能研究が役立つものと期待している.以上からショウジョウバエや線虫は複合糖質,特にプロテオグリカンの機能研究を個体レベルで行うのに最適の実験系であることが明らかになった. 今後の展望:これまで糖鎖遺伝子の研究は主に糖転移酵素に関して行われてきたが,我々はショウジョウバエを使って,それらを上位で支配する糖鎖関連遺伝子を含めた網羅的スクリーニングを開始した.今後はモデル動物を用いて新規の糖鎖遺伝子の研究を行い,糖鎖が関与する生命現象の理解を進展させたい.

1) H. Nakato et al., Development, 121, 3687-702(1995). 2) Y. Bellaiche et al., Nature, 394, 85-88(1998). 3) M. Tsuda et al., Nature, 400, 276-80(2000). 4) H. Toyoda et al., J .Biol .Chem ., 275, 2269-75(2000). 5) H. Toyoda et al., J .Biol .Chem ., 275, 21856-61(2000). 6) D.A.Bulik et al., Proc. Natl. Acad. Sci. U S A., 97, 10838-43(2000).

 BACKNEXTINDEX