関口清俊
大阪大学蛋白質研究所

 多細胞生物を構成する細胞は、その周囲に形成される基質に接着することにより組織・器官の統合性を維持すると同時に、増殖・分化・アポトーシス等の基本的な細胞形質の制御を受けている。インテグリンはこの基質への接着を媒介するレセプター分子で、細胞外ドメインで基質の接着分子に結合する一方、細胞内ドメインで細胞内骨格系と結合し、細胞の外と内の骨格構造を物理的かつ機能的に統合する役割を果たす。近年、このインテグリンを介する基質への接着に伴って、1)細胞−基質間接着部位(接着斑)に局在する一群の蛋白質がチロシンリン酸化されること、2)RasからMAP キナーゼに至るシグナル伝達経路やPI 3-キナーゼからAktキナーゼに至る経路が活性化されること、3)Rhoファミリーの低分子量G蛋白質が活性化されることが明らかにされ、インテグリンが単に物理的な接着を媒介するだけでなく、細胞外基質から細胞内へのシグナルトランスデューサーとしても働いていることが明らかとなってきた。インテグリンを介するシグナル伝達の経路は、増殖因子レセプターから伝達されるシグナルの経路とほぼ重複しており、両者が補完的に働くことによって精緻な細胞の増殖・分化の制御が行われているものと推定される。このようにインテグリンを介するシグナル伝達の研究は近年急速に進展しているが、その一方では、増殖と分化という逆方向の形質変化がどのようにして接着する基質の違いによって制御されているのか、また、結合特異性の異なるインテグリンの間で細胞内に伝達されるシグナルがどのように異なっているかなど、未解決の重要課題が多く残されている。我々は、特に上皮細胞の足場となる基底膜に着目し、基底膜からインテグリンを介して細胞内に伝達されるシグナルが間質のマトリックス分子(特にフィブロネクチン)から伝達されるシグナルとどのように異なっているかに着目して、研究を進めている。
  基底膜はIV型コラーゲンを基本骨格として、これにラミニンがニドゲンを介して結合したシート状の細胞外マトリックスである。インテグリンを介する細胞接着においてはラミニンが中心的役割を果たしている。ラミニンには、サブユニット鎖の組成が異なる少なくとも15種類のアイソフォームが存在し、各アイソフォームの生体内での発現は組織特異的かつ発生段階依存的に制御されていることが明らかにされている。意外なことに、これまでの研究で主に使われてきたマウスEHS腫瘍由来のラミニン(α1鎖を含むラミニン)は、発現が胎児組織に限定されており、成体基底膜にはほとんど発現していないことが最近明らかにされている。我々は、成体基底膜の主要な構成分子であるα5鎖およびα4鎖を含むラミニンに着目し、これらのアイソフォームをヒト癌細胞の培養上清よりインタクトな形で精製することに成功した。また、これらのラミニンアイソフォームの生理活性を他のラミニンアイソフォームや間質の主要な接着分子であるフィブロネクチンと比較検討し、成体基底膜型ラミニンからインテグリンを介して細胞内に伝達されるシグナルがフィブロネクチンより伝達されるシグナルと明らかに異なることを最近見いだした。本フォーラムでは、(1) α5鎖およびα4鎖を含むラミニンアイソフォームの精製、(2) これらのアイソフォームの細胞接着活性、細胞遊走促進活性、細胞分散活性、(3) インテグリン結合特異性、および(4) 細胞内骨格系に注目した細胞内シグナル伝達経路について我々の最近のデータをご紹介し、細胞外マトリックスの多様性の意味をインテグリンを介するシグナル伝達の観点から考察してみたい。

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